母の命日 [母]
けれど、母の逝ってしまった日は覚えている。
それはつらいことじゃない。
だけどここ数年、泣かないと決めていた。
もう泣いている場合じゃない、と。
今日、ヨガの先生である友人の友人になんというか、ある施術?をしていただいた。
私の近くに常に母が(確信は持てないが、私以外の女の人)いるらしいと。
また、私がたくさんのことで自分自身を殻に閉じ込めてしまって、
女の子としての行動を抑制してしまって、
その結果として、子宮とかの女性としての機能が十分に活動できていないとのこと。
「それを溶かしておいたから」と。
来年の二月を過ぎたら、妊娠できるとの予言を(違う人から)いただいていて、
今回はそれを裏付けることを教えてくれた。
ただ、二月すぐにはできないかなーとも。
とりあえず妊娠できる前に、自分の気持ちいい場所行くといいよって。
そうね。
あの母と何度もみた御岳山の山頂からの富士山、またみたいな。
今日は久しぶりに人前で号泣。
女の子らしくするために、花柄のグリーンのスカーフ買った。
その日 [母]
9月22日朝5時15分
母は死去いたしました。
享年60歳
自分の夫と息子と娘と孫と自分の母親に看取られながら。
胃がんを発症してから、2年と2ヶ月でした。
その間に、脳梗塞というおまけがついて、
両目の視力低下と右半身麻痺で、
本当につらい時期でしたが、
母を私たちの家の中で過ごしてもらうことができて、
よかったのではないかと思っています。
在宅看護中 [母]
8月初頭に母は退院し、
現在は自宅にて療養中です。
24時間の持続点滴はいやだという本人の希望で、
現在は、夕方からお昼までの点滴にしています。
内服も出来ているので、
内服と、痛み止めの座薬を毎晩やってます。
再発がわかって、治らなくて、って泣いてました。
だけど、今は違います。
毎日が忙しい。
その分、母親と笑いながらやってます。
だって、癌で死ぬんだとおもって、
痛みとか、腹水とか気にしてたら、
脳への放射線で、脳梗塞になって。
「えー!」って。
麻痺?はい?
って感じで。
往診の先生は、ではリハビリやるよって。
ガン末期なのに、リハビリ?
もう、創造の世界をこえちゃいました。
涙涙で、仏門のように穏やかに時が過ぎていくと思ったら、
まったく違ってて。
人生はおもしろい!
母のこと [母]
自分の母は、先日右腎臓に腫瘍が転移していることを確認され、
それまで抗がん剤を左腎臓に対して行ってきたのに、
今回の転移がさらに発見されたことで、その点滴の効果が
今後も期待はできない、1割である、と医師に言われたそうだ。
そろそろ母親のエンドコースが近づいている。
現在は痛みが出ているが、麻薬ではないが内服にてコントロール中。
仕事も今年の八月が定年だったが、それまで通えるのか、
誰にもわからない。
私ができるのは、母がいいと思える生活ができるように考えること。
コーディネイトすること。
さしあたって、母が自宅で過ごせるように医者とスタッフを探さないと。
自分がいつも涙を流していたらできないからやらなきゃ。
だけど、今一番、それまで思い出さなかった母との記憶が色々思い出される。
ランドセルを買ってもらって、母と祖母の前でくるっと回ったこと。
けんかしたこと。
私は母が大好きだ。
それを痛感する。
時々思ってはいけないけど、父だったらと思うことがある。
母は、私のこれからの人生にも必ず必要な人なのだ。
だけど、母があまり長くつらい日々を送らないようにしてほしい、
とも願うことはできる。まだ。
母との会話 [母]
母は、家に帰ってきました。
金曜日に入院しても、採血のみだったからと帰ってきて、
土曜日は、沢登り、次の日曜日に病院に帰院して、
月曜日朝には退院して出社するとのことで。
まだ結石の可能性も捨ててはいないということらしいですが、
まあ、多分腫瘍だろうとの主治医の話。
抗がん剤(以下ケモ)は、初回のみ入院して、
様子見て、週一回外来で。
ケモの薬のことは何もわからないし、
何クールやるかもわからないし。
うーん。
わからないことだらけ。
父が私を喫茶店に呼び出した。
『何?何か秘密に告知された?』
心臓バクバク!
父と産まれてから2回目の喫茶店モーニング!
「お前が電話でかなりナーバスになってたから」
父!さすが、血を分けてます。
「俺も色々病院で患者を見てきたからわかる。
チョウ○○軒の社長なんか、東京で3ヶ月って言われて、
戻ってきてがんセンター来て、
今10年だよ。
『俺はもう、おまけの人生だから、何でもやります』
って、新薬の実験にも参加してるよ。
大学の教授なんか、
『娘のために10年は死ねないんだ』
って、胃がんから肝臓に転移してて、
外来で抗がん剤受けてて、
今も生きてるよ。
俺達みたいながん患者は、そうやって、
死ぬことをしっかり考えられるんだよ。」
とーさん。
あなたのこと、本当に尊敬します。
そして、実際母が帰ってきて、
「明日沢登り行こうかなあ」
そう言いだした時、自分が一人で不安になりすぎたと実感。
母さんも、自分の人生を楽しむようにしているんだと。
母の癌再発を知らせる電話。 [母]
2005/09/01
父より、母の癌再発を知らせる電話あり。
「やっぱり、腎臓結石じゃあなかったって。」
きたかぁ。
そうかぁ。
やっぱりかぁ。
頭に浮かぶのは、今まで亡くなってきた患者さんの顔。家族の顔。
「俺は、もうこの一年で覚悟はできた。
お前は、立派な子供を産むことが仕事だ。
みんなそれぞれのことをやっていくしかない。」
父さん。そんなに言い切れないよ、私。
今日、仕事終わったら入院するって。
抗がん剤のために。
月曜日には退院するって。
抗がん剤だけの入院だから。
1クールは何回何週間?
もう、なんにもわからない。
教えてもらわなきゃ。
色々はHP見たけど、結局、私のやってることは、
「母親を癌で亡くそうとしている、可哀相に見える」自分を
強調したいだけなのかな。
母さんにだけは、癌になってほしくなかった。
いつまでも、みんなに自慢できるスポーツマンであって欲しかった。
まだ死なない。
でも、死に近づいている。